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夏至の日の余白

一年で最も昼の時間が長いという、夏至の日。

生憎と石垣島は今日から梅雨の再来で、空から夏色が遠ざかってしまったようでした。

久しぶりに、数日雨が続くようです。


どうせ雨で散ってしまうなら...と、プール側で重たげに垂れていたタイワンレンギョウを数枝切り落とし、家の中で生けることに。


タイワンレンギョウの濃い紫に合わせて、星形の小花がかわいい薄青のペンタスも数房、ぱちり。

階段横の白い多肉系植物もひと茎、ぱちり。


6月の流々の窓辺

キッチンの窓に飾りました。

6月と言えば紫陽花、紫陽花といえば寒色。けれどうちには紫陽花がないので、色でイメージに近づけよう...と思っていたはずが。


隣の窓辺にあったパイナップルの伸びすぎた根を切り揃えたり、明日やってくるゲストのために用意したブーゲンの花束をまとめたりしているうちに、当初の想定より賑やかな窓辺の完成です。


南国の6月らしいでしょうか。







午後になって、いけばな作家の方のブログを覗いていると、とても素敵に睡蓮が生けられていました。

丸い水鉢に浮かぶ数枚の葉と、その中でそっと佇む、ほんのわずかにほころびかけた1輪の蕾。

睡蓮の葉に覆われていない水面が広く残っていて、鉢の淡い色が揺れるようで、それがとても涼しげ。

余白いい...

余白だいじ...


物理的な余白には、視線が惹きつけられますね。

立ち止まることで、ほんの一瞬でもそこにはゆとりが生まれ、ふくらんでいくように感じます。


あらゆるものに白いフィルターがかかったように色の密度が落ち、気温が下がる夏の雨の日に、ほっとするのも同じような理由かもしれません。普段より穏やかな色が、温度が、感覚に余白を生んでくれるから。


もったいないから、せっかくだから、と足し算しそうになるところをグッと堪えて。

身の回りに美しい余白を少しずつ、広げてみようか。

余白を得るには、手放すことが必要。

得るために、捨てなければならない。

大切なことはだいたい、そんなものかもしれない。



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